一八八五年九月九日水曜日、午後三時五十分、鐘の音を合図に、金澤女学校(北陸学院の前身)は北柿木畠に産声をあげ誕生した。開校の式典には、縣令(県知事)も出席する中、北米長老教会から派遣されたトマス・ウィン宣教師夫妻、同校の船出に深く関与したメリー・ヘッセル女士の姿があった。爾来、学院は北陸の諸教会との関わり・活きた人的交流を保ちつつ、生長を遂げてきた。
この北陸学院誕生の由来に、多くのキリスト教学校と教会との関係を示す原型がある。それは即ち、「教会が生み親であり、学校はその子供」という厳然たる事実である。北陸学院の場合、最初期の理事会メンバーは、その殆どがアメリカ人キリスト者であった。また歴代の校長・理事長には日本基督教会(旧日基)及び日本基督教団の教職・長老が立てられている。――教会とキリスト教学校の関係は親子関係である――これは今日も変わることのない歴史的事実である。
過ぎしクリスマス、喜びの知らせが複数届いた。白銀教会にて北陸学院中学校三年生男子が受洗。これは、学院始まって以来の男子生徒の受洗である(百二十年間女子校)。また、同日同教会において中高短大の卒業生が一緒に受洗。若い二十代の女性である。桜木教会では高校女子生徒が信仰告白、クリスマス直前にも他の女子生徒が受洗。また、学院高校を卒業後東京のキリスト教大学に進学した学生が青山教会にて受洗。更に、私の母教会である七尾教会で幼き頃から信仰の養育を受けた女子高校生が信仰告白、来春北陸学院大学(新設)に進学予定。そして、前任地である小松教会においても敬和学園に通う高校生男子が信仰告白。来春北陸学院大学に進学予定である。
今年度四月、楠本史郎教師(前若草教会牧師)が学院長・理事長に就任。同教師は、教会と学院との関係を強く自覚しておられ、この一年は北陸三県の教団の諸教会及び教団外の諸教会の主日礼拝にも出席し続けておられる。礼拝後に少々お時間を頂き、学院のことを覚えて祈ってくださるよう呼びかけている。その際、楠本院長は「北陸学院の生徒ないし卒業生の方、あるいは現在北陸学院の教職員である方、かつて教職員であった方、どうぞお立ちいただけますでしょうか」と問うているそうである。すると、そこには、主が学院を豊かに用いてきてくださった歴史、北陸の諸教会と学院との切っても切れない深い結びつきの歴史を見て取ることができる。しかし、今はかつての栄光に酔い痴れている場合ではなく、学校と教会との関係の再強化を図ると共に、キリスト教学校としての真の内実を構築すべき時である。先にご紹介したクリスマスの喜ばしき知らせが、その良き兆候であってくれることを祈る今日この頃である。
二〇〇五年四月、北陸学院中学校・高等学校校長に就任して以来やがて三年が過ぎようとしている。牧師をしていた時分に比べ、「世」というものに直接面する機会が多い。そこで痛感させられるのは、以前考えていた以上に「世」は混沌としており、苦しみもがいている実情である。そのような只中にあって「世」は、自らそれと気付かぬところで、潜在的に、真の牧者を必要としており、慰めの共同体を必要としていることを思わずにおれない。ルドルフ・ボーレン先生が「憧れ」と題した講演の中で語られたように、「世」はその呻きの只中で「新しくなりたい」との憧れを抱いており、教会とキリスト教学校はその呻きに真に応えなければならないのではないか。自らが福音を求めているとは未だ知らぬ方々のところに、私たちは「良い知らせを伝える足」となって出て行かなければならないのではないでしょうか。
中学生・高校生の真の成長には福音が必要であると信じて疑いません。また同時に、良き養育を与えてくれる大人・教師の存在が彼らには不可欠です。現代は、子供たちにとって誘惑に満ちた危険極まりない時代となっています。永遠に変わることのない誠実で確かなお方を、またその方による愛と真実に満ちた養育を、あの子もこの子も必要としています。教会が「世の光」として堅く立ち、キリスト教学校もまた、共に主にお仕えしたく願っている次第です。
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