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「主張」

※機関誌「宣教」(2009年3月号)「主張」欄より


 主の日の礼拝指針について


 全国連合長老会の式文委員会によって作成された「主の日の礼拝の指針」は、二〇〇七年の第三二回全国会議資料の中に、委員会報告として初めて掲載された。各地域連合長老会での検討を経て、質問や意見および感想等の反響を集めた上で、さらに内容と文言を整えていくという趣旨の報告がなされたことを記憶している。
 残念ながら、最初の年は、ほとんど反響が無かったようである。二〇〇八年の第三三回全国会議資料の巻末に「付録6」として再録され、改めて、各地域連合長老会に対して検討の依頼がなされた。同年の会議において、長年の懸案であった「全国連合長老会規約」第二条の改訂が可決され、一つの区切りを刻んだことで、ようやく「主の日の礼拝の指針」が次なる課題として注目を集めることになったと言えるかもしれない。
 私の所属する神奈川連合長老会においては、二〇〇八年度九月に開催された信徒研修会で主題として取り上げて学び、さらに一一月末の長老研修会でも学びを深めた。その間、一一月半ばに開催された全国教師会でも主題として取り上げられ、ようやく、教師、長老たちの間で関心が呼び起こされ、問題意識が深められてきたのではないかと思う。
 そもそも、式文委員会の課題としては、一九七二年に初版が刊行され、一九八五年に改訂版として刊行された、現行の『連合長老会編 式文』の改訂という大きな務めが託されているわけであるが、その作業の中で、二〇〇三年には、アメリカ改革派教会(RCA)の新しい式文の解説書が翻訳・出版された。また『宣教』の六三七号以下、式文委員会の委員が分担して、「式文のツボ」と題するシリーズ解説が掲載された。改訂版の『式文』が出版されても、実際に、加盟教会の主の日の礼拝の中で用いられるようにならなければ意味がない。まさにその意味で、続いて「礼拝指針」が加盟教会に提示され、連合長老会としての礼拝の理解を共有する道が示されたことを喜びたい。
 何ごともそうであるが、公的な性格を持つ文書をまとめ、発表するという作業は、実に苦労の多いものであり、反響がなければ落ち込み、反響が多いとまたその内容に落ち込むことがしばしばである。意欲的に新しい表現を盛り込めば、執筆担当者の個性が強く出過ぎていると批判され、伝統的な神学をきちんと踏まえているのか、と問われる。しましまた、従来の『式文』や「礼拝指針」の表現に寄りかかるだけであれば、何のための改訂かが問われることになる。その意味で、批判を恐れず、いやむしろ積極的な批評を求めて、「たたき台」となる原案を公にされたことを、式文委員会に感謝したいと思う。
 私自身は、このたびの「礼拝指針」の中で、礼拝を整えるための長老会の指導的役割が説かれ、特に、説教者を立てることについての責任が明確にされていることを喜んでいる。また洗礼について、従来は、成人洗礼の付け足しのように語られることの多かった小児洗礼が、成人洗礼に先立って解説され、教会における位置づけを明確にしようと配慮された点を大きく評価したい。親または保護者が「本人に代わって」信仰を告白するという理解や、小児洗礼が後の信仰告白によって「終わる」という表現について、研修会の中で疑問が呈されたが、それもまた、文言の背後にある神学的理解が問い直され、正されていくためのよい機会になったと思う。提示された原案と真剣に取り組み、協議を重ねる中で、改革・長老教会の礼拝理解、説教と聖礼典の位置づけがより明確になってきたのではないかと思う。
 その後、式文委員会では「主の日の礼拝」指針案の修正版を準備され、年が明けた一月一三日には全国連合長老会常置委員会に提出された。筆者は幸い、本紙読者諸氏に先駆けて、その修正版の指針案を目にすることができた。地域連合長老会の学びの中から問われたことや、全国教師会での意見や提案を丁寧に受けとめながら、修正が施されている。このようなやり取りを重ねながら、私たちの礼拝の理解と実践がさらに深められていくことを願っている。


鎌倉雪ノ下教会 東野 尚志





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