二〇〇八年六月三日、浜寺教会において開催された第三三回全国連合長老会会議は、規約第二条を「全国連合長老会は聖書を基準とし、使徒信条、ニカイア・コンスタンチィノポリス信条、アタナシウス信条、カルケドン信条に準拠し、改革派の諸信仰告白に言い表された信仰を継承し、一八九〇年に制定された日本基督教会の信仰の告白に基づいて、一九五四年に制定された日本基督教団信仰告白を告白する」と変更した。
今回の変更は全国連合長老会の過去三三年の歴史、更にそれ以前の協力伝道会(一九四五〜一九五〇)、東京伝道局(一九五一〜一九七六)時代を含めると半世紀以上に亘る連合長老会の歩みの中での一里塚のような役割を果たすものではなかろうか。一里塚とは、かつて街道の両側に一里(約四km)ごとに置かれた土を盛った標識である。旅人はその一里塚で旅を振り返り、今まで歩んで来られたことを感謝し、再び新たな出発を始めるのである。連合長老会の先人たちは、教会がどこに立つべきかという教会の本質を問い、またいかにしたら、主キリストの主権に服するキリストの体なる教会を形成できるかという実践の戦いの中で、自己を形成してきた歴史を持つ。教会は国家権力、政治的な圧力、資金援助という経済的な力を本質とするものではない。キリスト教思想の啓蒙、キリスト教社会運動の展開はあるにしても、それらは本質にはなり得ない。本質はイエス・キリストに対する神礼拝にある。「我等が神と崇むる主イエス・キリスト」、また「父と子と共に崇められ、礼拝せらるる聖霊は我等が魂にイエス・キリストを顕示す」(いずれも一八九〇年の告白)。連合長老会は、これらの信仰の根本を確認しつつ、教団にあって自らの立場を守り、また宣教してきた歴史を持つ。
今回の規約改定にあたり、評価できる点を二点指摘しておきたい。「聖書を基準とし」は変更ないが、「基本信条ならびに福音的諸信条に示された福音理解を継承し」を「使徒信条、ニカイア・コンスタンチィノポリス信条、アタナシウス信条、カルケドン信条に準拠し、改革派の諸信仰告白に言い表された信仰を継承し」という表現にした。従来基本信条という表現であったが、「使徒信条」「ニカイア・コンスタンチィノポリス信条」と明記することによって文言上も連合長老会の立っている信仰的な基礎を明らかしたと言える。これは自明なことではない。ことにこの二つは、代々の教会の信仰告白の源泉である。この二つを教会の基礎とし、宗教改革の諸信仰告白、更に日本における最初の信仰告白へとつながる線を継承し、日本基督教団へと連なって来ていることをより明らかにした点で評価できると言える。
第二は、改正提案の解説に明らかなように、従来の「併せて採択する」という表現の背後には、一八九〇年の告白によって教会形成を続けてきた教会と、他方一九五四年以後に設立、または連合長老会に加盟した比較的新しい教会の存在事情があった。このような二種類の教会のどちらもが連合長老会の教会として存続し得るために、「併せて採択する」という表記となっていたのである。
今回の改正は、連合長老会の諸教会が教団所属の諸教会に対して、教団信仰告白との整合性を明らかにした点で効用があると言える。同時に一八九〇年の告白をした教会の歴史的な継承をもって、教団に合同したという意味を明らかにしている。言い換えれば、「基づいて」とは、連合長老会の教会としての歴史的立脚点と同時に、その伝道の戦いを継承することを明らかにしたのである。
もとより、信仰告白には教会の制度的な側面と教理的な側面がある。制度的なことについて言えば、教団に所属していることからくる制約もあるので十全とは言い難いが、それらは今後の進むべき課題となろう。昨年秋に開かれた全国教師会において、洗礼式に二つの信仰告白が読まれている教会の実例が示された。この立場は教師会において承認された。二つの信仰告白の具体的な用い方を巡っては画一化、統一化の方向よりも、地域によってかなり幅があることを互いに理解し、むしろ伝道と教会形成の共同の戦いを共有することの方が連合長老会にとって意義あることを銘記したい。
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