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「主張」

※機関誌「宣教」(2009年12月号)「主張」欄より


 日本伝道150年と連合長老会


 本年はカルヴァン生誕五百年と共に日本伝道一五○年の記念の年である。教団においても一一月に記念の行事が行われたし、七月には超教派による記念イベントが盛大に行われた。連合長老会としては記念の行事などは行わないが、福音がこの国に伝えられ、我々の教会の礎となる伝道が始まって一五○年目を迎えたことを主に感謝しつつこの年を歩みたい。
 一五○年前に始まった伝道が教会の設立という実を初めて結んだのは、一三年後の一八七二(明治五)年だった。横浜に生まれた「日本基督公会」である。この教会はいずれの教派にも属さない無教派的教会だった。しかし日本の教会のルーツをそこにのみ見るのは間違いである。これとは別に教派的伝統に立って教会を形成しようとする動きも当初からあり(その流れの中で生まれたのが現在の横浜指路教会)、五年後の一八七七年には改革長老派系の三派の合同による「日本基督一致教会」が誕生した。日本伝道は当初からこの二つの流れによって展開されてきたのである。
 もともとは「チャーチ」の中国語訳に過ぎない「公会」という言葉に「無教派による教会形成」という理念を読み込み、最初の教会である日本基督公会を日本の教会の原点、あるべき姿として目指そうとする主張を「公会主義」という。日本基督教団は「教憲前文」「成立の沿革」においてこれを存立の理念として掲げている。教団こそ公会主義を受け継ぎそれを実現した教会である、と主張する人が教団の中には多い。
 他方我々は、旧日基より受け継いだ改革長老教会の教派的伝統に立つことを主張している。「日基」は確かに「組合」や「メソ」に対して、改革長老教会の系譜に立つ教会だった。ところが、一八九○年に、簡易信条である「信仰の告白」を制定し、憲法、規則を定めて「日本基督一致教会」から「日本基督教会」への改組がなされた時、その指導者たちが考えていたのは「日本基督公会」の再興だった。つまり旧日基の中には、公会主義つまり無教派主義の流れと、改革長老教会の教派的伝統に立とうとする流れとの両方が混在していたのである。その状態がそのまま今日の日本基督教団に受け継がれている。日本伝道一五○年の歴史は、この二つの潮流によって織り成されて展開してきたと言うことができる。
 そこから、教団の今後の課題が見えてくる。この二つのどちらの流れに立って日本基督教団を形成していくのか、という課題である。諸教派の合同教会である教団は、「公会主義=無教派主義」によって何とか存在を保ってきたが、そこにこそ教団の混迷と弱さの原因もある。無教派とは無伝統ということであり、教会としての形をはっきりと持っていないということである。そのような教会は人間の思いに左右され、また時代の風潮に翻弄されていくのである。今日教団が、未受洗者陪餐に象徴される信仰理解、教会理解の基本的な相違を抱えていることの根源がここにある。合同教会だから無教派でしかあり得ないなどということはない。合同教会として、どのような教派性を、つまり教会としての形を持つかを明確にしていくことが、教団が今後教会としてしっかり立つための課題であり、我々が改革長老教会の教派的伝統に立って教会形成に励むことは、教団の教派性確立のために大きな意味を持つのである。
 他方我々連合長老会も、この二つの潮流を自覚する時、「旧日基の伝統を受け継ぐ」と言っているだけではどうにもならないことを示される。我々自身がこの二つの相反する流れを無自覚的に受け継いでいるのである。一八九○年の「信仰の告白」を大事にするという時、それは公会主義に立つ、という意味をも持っている。植村正久は一八九○年に、「日本国キリスト教徒は、その信条を成るべく自由寛大にして十分に進歩の余地を与え、協和の根基を固うせざるべからず」と語った。「信仰の告白」は将来の進歩を期待しつつこの時点で最善のものとして制定されたのである。それから百年以上経った今日、我々はこれをさらに「進歩」させ、我々の教会の形をよりはっきりとさせていく課題を与えられているのである。


横浜指路教会 藤掛順一





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