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「主張」

※機関誌「宣教」(2011年5月号)「主張」欄より


 献身について


一.献身と福音
 キリストへの献身は福音が説教 されることによって生じる。献身 せよと命じられて起こるものでは ない。いま日本の諸教会で献身者 不足が騒がれているが、それは本 質的に説教壇に福音が乏しくなっ ていることの結果ではないか。責 任の大半は牧師、伝道者にあると 言わざるを得ない。説教が病理の 説明で終わり、患者はそのままで あるという状態ではないか。ある いはエレミヤが指摘するように 「わが民の破滅を手軽に治療して 平和がないのに、『平和、平和』 と言う」(エレミヤ六・14)。
 神の言は罪とその事実を突きつ けるが、同時にその力の前に滅び つつある人間を何としてでも救わ んとする「救いをもたらす神の力」 (ローマ一・16)である。神の力 はすべての人間を破滅に追い込ん でいた死の力に立ち向かった神の 大能を意味する。
 「正しい服従は、『あなたはキ リストに従わなければならない』 ということが説教されることによっ てなされるのではなく、キリスト は私のために何をなしたもうたか が説教されることによってなされ るのである」(キルケゴール)。
 献身は福音への理解の大きさに 応じて、その服従として必ず起こ されるはずである。ある宗教団体 のように政変や地震、飢饉など天 地異変の不安から信者を伝道献身 へと駆り立てることは一時的には 効果あるように見えるが正しい理 解ではない。献身はどこまでも神 の事業に対する服従である。
二.キリストとその事業
キリストはご自身の存在をもっ て神の国の到来を宣言した。キリ ストこそ時代を超えた、しかも時 代を救う「道であり、真理であり、 命である」(ヨハネ一四・6)。キ リストは人類の苦難を負い十字架 につけられ、よみがえらされ、天 に昇られその業は完成したが、そ の救済の御業が終わったわけでは ない。その事業は弟子たちの働き と共に世の終わりまで継続されて いる(マタイ二八・20)。「イエス・ キリストのご生涯は、この地上で はまだ終わっていない。キリスト は、そのご生涯を、キリストに従 う者たちの生活の中でさらに生き 給う」(ボンへッファー)。キリス ト者たちはキリストの御業の継承 者である。
 世には多くの働きがある。政治、 経済、法律、医療、運輸、文学、 歴史、芸術等々、いずれの分野で も地道な研究者たちの献身的な労 苦が積み重ねられて、今日わたし たちはみなその恩恵にあずかって いる。しかしキリストの事業はもっ と大きい。人間の全存在を根本か ら癒し、再生し、復興させていく だけでなく、時間と空間を超えて 全時代、全世界にひろがり、遂に は社会を変え、世界を変革して、 神の国の完成につながる救済の大 事業である。
三.キリストの召しの場
 キリストは漁する男たちを直接 に召すことができた。しかし今日 ではキリストは弟子たちの奉仕を 通して働いている。特に礼拝ごと に説かれる神の福音の言によって、 人は次第にキリストに従う志を与 えられていく。「神は、宣教とい う愚かな手段によって信じる者を 救」い(Tコリント一・21)、献 身に至らせる。「聞いたことのな い方を、どうして信じられよう。 また、宣べ伝える人がなければ、 どうして聞くことができよう」 (ローマ一〇・14)。
 一七世紀英国の牧師R・バクス ターは三〇年以上も病苦に悩まさ れていながら、あたかも死に瀕する 者が死に瀕する者に向かって説教 した。その講壇の上には「その為し たまえる事を、もろもろの民らに知 らしめよ」(詩編一〇五・1)との 聖句が彫られていたという。キリス トの福音は理論より先にある救済 の事実である。神の永遠の大事業 に全生涯を献げよ。これこそ、連 合長老会諸教会のなすべき霊的な 礼拝である(ローマ一二・1)。


日本橋教会 宍戸基男





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