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「主張」

※機関誌「宣教」(2012年6月号)「主張」欄より


 中高生修養会の恵み


 毎年夏に行われている「中高生 修養会」の時期になると、自分が 参加していたころのことを思い出す。 幸いにも六年間参加することがで きたが、それは、開催場所に近い 教会にいたことと、父親がこのこ とに熱心であったことも決して無 関係ではないだろう。
 とはいえ、「中高生修養会の恵み」 ということを改めて考えてみたとき、 それだけではないことは明らかであ る。何よりも、他教会の同年代の 友人と出会えることが大きい。私 の世代までは、所属教会で高校生 が一人、ということはあまりなかっ たので、教会に行って仲間がいな くて寂しい思いをしたことはまずな かったが、それでも、全国にこれだ けの同年代がいることを知ることは 楽しかった。
 現代とは異なり、ケータイもメー ルもない時代であるから、三日間 を共に過ごし、撮った写真を現像 し、他県の住所を書くことも、何 となく、非日常で嬉しかったもの である。
 この期間、聖書にどっぷりとつ かることも楽しかったし、家や教 会では話さないようなことを話し合 えるのも面白かった。もっとも私は 積極的に会話に参加するタイプで はなかったが、分団の対話の中に 身を置いているだけでも十分楽し かった。そういう経験があるので、 もしも人と話すのが苦手で参加を 渋るような子がいたら、それでも大 丈夫だよとぜひ伝え、送り出して いただきたい。
 誤解を与える表現かもしれない が、修養会に参加することで他教 会の先生に出会えることも楽しみ の一つだった。申し訳ないことでは あるが、分団の表が張り出された とき、どの先生になるか、アシスタ ントが誰になるかも、わくわくする 瞬間だった。
 高校生の主題別懇談は、夜を徹 して話し合える貴重な時間だった。 二日目の夜だけは、先生もアシス タントの方々も大目に見て、と言 うよりも、若手の先生は一緒に参 加してくれて徹夜で話し合った。 最初は主題に基づいているが、時 間が経つと様々な方向に話が発展 し、展開していった。同年代だか らこそ、家族ではないからこそ、 普段一緒にいない教会の友だから こそ、共有できる話もたくさんあっ た。
 翌年再会して、洗礼を受けた、 信仰告白をした、という話も大き な刺激になった。お前、どうする? 今年する? みたいな話をしたり、 手紙に書いてみたり。この修養会 を機に洗礼を受ける子がたくさん 与えられていることも大きな特徴で あろう。
 時間の共有。一言で言えば、中 高生修養会の恵みはそういうこと だろう。実際、一生懸命計画し担 当された先生方には悪いが、何を 学んだかよりも、一緒に過ごした 時間が貴重だった。もちろんその ためには、主題が必要になるので、 それをおろそかにしてはならないこ とは明白ではあるが。
 時間を共有することが、今は昔 よりも少なくなっている現実がある。 まだそのことが残っていた私の世代 でさえ、時間の共有を楽しんでい たのだから、現代の子に至っては なおのこと必要なことだと思われる。 今では、牧師として、親として、 送り出す側になった。送り出した 子どもたちが、「楽しかったー。来 年も絶対行きたい」と言って帰っ てきてくれることが、本当にうれし い。そうして、ここに行けば楽しい よ、という言葉が伝承されていっ てほしい。
 最後に、個人的なことで申し訳 ないが、先日、二〇年以上ぶりに 中高生修養会で知り合った声楽家 の友人と岡山で再会した。本当に 久しぶりなのに、あの頃となんら変 わることなく会話が進む。離れて いた時間が無かったかのようなひと 時が持てたのも、かつての時間の 共有のおかげであろう。ただ昔と 違っていたことは、お互いの体型 と、現代っぽくメアドを交換した ことくらいか。


服部 修





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