可見的教会は、しばしば独善に
陥り、人間的な権威に支配されて
しまう危険が常に潜んでいる。そ
の誘惑に対して一つの教会だけで
立ち向かうことはほとんど不可能
であると言わなければならない。
全国連合長老会は、信仰と制度を
同じくする地域の諸教会が有機的
につながり合い、支え合って、教
会にキリストの主権を現すことを
目指している。地域における会議、
長老の訓練、記録審査等々、すべ
てのことがそこに集中していると
理解してもよい。このことは常に
自覚しつつ、各地域長老会形成に
励んでいきたい。
しかし残念ながら、その堅実な
積み重ねが、牧師の交替において
いとも容易く崩れ去るという事態
が起こる。それまで地域形成を共
に担い合ってきた仲間が、誰も知
らない内にいつの間にか交替して
いるという事例も少なくない。一
体、何のために信頼関係を築き、
共に教会に仕えてきたのか。空し
い思いに駆られるということもあ
るのではないだろうか。
もちろんそこには他言できない
事情もあるだろう。しかしそうい
う痛みや苦しみを担う場所もまた
地域の共同体なのである。そうい
う場所として地域が機能している
かどうかが問われている。
また、何でも「召命」という言
葉で片付けてしまうのはいかがな
ものか。「召命」は単なる個人的
決断ではない。教会という共同体
において常に確認されていかなけ
ればならないものである。教会が
職制を担うのは、神の召しを個人
の主観ではなく、教会の中で信仰
的に確立していくことに他ならな
い。如何に教会的に人事を進めて
いくか。そこに全国連合長老会の
存在意義もあるだろう。以下、三
つの点を掲げたい。
@ 教会形成的人事
教会は教師の自己実現の場所で
はない。そのように教会を捉え、
また教会をそのために利用するよ
うな人事があってはならない。教
会の頭であるキリストの御心が成
るように、誠実に教会に仕える教
師を招聘したい。特に全国連合長
老会加盟教会では、教会の信仰と
制度を継承することに重点を置く。
人間的な親しさやつながりを重視
するあまり、教会がこれまで積み
重ねて来たものを壊してしまうこ
とになれば、その人事は決して実
を結ぶものにはならない。
A 教育的人事
人事には人間的な思惑が介入し
やすい。口では立派なことを言い
ながら、実際、自分の人事になる
と、周りに示しがつかないようで
は困る。その人事を教会員のみな
らず、周りの教会、教師たちが見
て納得し、それに倣うものとなら
なければならない。つまり人事と
は教育的である必要がある。
因に、ヘブライ語の「ハノーク」
(教育する、と訳する言葉)は、
本来「ささげる」という意味を持
つ。人事について、当事者はそれ
を手放し、神の御手にささげ、委
ねることが求められているだろう。
それを拒む時に、その人事は教育
的ではなくなる。
B 信仰的人事
教会の人事に「栄転」とか「上
がり」という考え方はない。それ
は極めてこの世的な価値観であり、
神の栄光を曇らせるものである。
教師の異動はそこに神の栄光を現
すために為されるものである。そ
のためには何よりも「試みにあわ
せず悪より救い出したまえ」と祈
らずにはおれないだろう。人事に
関わる者は祈りつつ畏れをもって
神の御心を現すこの業に仕えなけ
ればならない。ただ人間的に駒を
動かすことではないのである。
「主張」ということで、少し思
い切って書いたところもあるが、
もちろん将来、自分がその立場に
立った時、ここに記されているこ
とに責任を持たなくてはならない
ことは肝に銘じている。
|