< HOME

規約と信仰告白
「主張」
全国連合長老会ニュース
加盟教会一覧
出版書籍
カテキズム教案


「主張」

※機関誌「宣教」(2013年1月号)「主張」欄より


 私たちの教会の伝道


 使徒パウロはコリントの信徒へ の手紙一第一五章一〜八節「兄弟 たち、わたしがあなたがたに告げ 知らせた福音を、ここでもう一度 知らせます。これは、あなたがた が受け入れ、生活のよりどころと している福音にほかなりません。 どんな言葉でわたしが福音を告げ 知らせたか、しっかり覚えていれ ば、あなたがたはこの福音によっ て救われます。…最も大切なこと としてわたしがあなたがたに伝え たのは、わたしも受けたものです。 すなわち、キリストが、聖書に書 いてあるとおりわたしたちの罪の ために死んだこと、葬られたこ と、また、聖書に書いてあるとお り三日目に復活したこと、ケファ に現れ、その後十二人に現れたこ とです。…」と語った。なぜもう 一度知らせるのか。最も大切なこ とだから。いやむしろ、パウロが 語った言葉を忘れてしまう人々が いたから。いや、それだけではな く、こんな言葉は役に立たないと 捨ててしまったから。第一章にお いて、パウロは、主イエス・キリ ストの十字架(=福音)は多くの 人々にとって愚かで躓きだと語っ た。決して他人事ではない。
 そこで改めてここでパウロは、 自分が語った福音は自分も聴いた 福音であると語り、その福音は主 イエスが十字架に死なれ、葬られ、 復活なさったことであるというこ とを私たちに想い起こさせる。し かも、聖書に記されている通りに、 私たちの罪を身代わりに背負われ ての死であったと語る。この福音 の言葉こそが生活の拠り所、生き ていく時に必要不可欠な言葉であ り、私たちが救われるか否か、私 たちの生き死にがかかっている聴 き逃すわけにはいかない言葉なの である。
 私たちが日曜日の礼拝のたびご とに、聖書に記されている言葉、 説教の言葉、主イエスの十字架の 死と復活による救いの言葉、罪の 赦しの言葉を聴くことは、精神的 な知的な営みをしているのではな くて、生活の拠り所、日常の生活 の土台となるのである。人生の大 きな分岐点に差し掛かった時、何 か困った時だけではなくて、罪の 赦しによる福音によって日常の生 活を整えていくのである。
 ところが、コリントの教会に生 きる人々がそうであったように、 もっと気の効いた言葉が聴きたい という誘惑に負けてしまうことが 起こり得る。確かに主イエスの十 字架の死と復活に私たちの救いが かかっていることも、私たちの生 き死にがかかっていることも良く 分かっている筈である。しかし、 主イエスの十字架の死と復活によ る救いの言葉、罪の赦しの言葉、 福音を聴かなければ、今日一日生 きていくこともできないと本気で 信じているかどうかが問われる。
 時折、なぜ十字架が必要だった のか、罪が分からないという声を 聴く。しかし本当に罪が分からな いのか。そんなことはない。罪は よく分かっている。しかし、とも に生きる隣人の罪を。隣人の罪に 気付き、論い、審き、糾弾するの は上手なのにもかかわらず、自分 の罪には気が付かず、自分自身の 罪を指摘されると熱り立つ。まさ にこの罪の醜さを主イエスが十字 架によって背負ってくださり、私 たちは初めて神とともに生きるこ とができるようになった。この福 音を私たちの教会は宣べ伝える。
 この福音を牧師が専心して健康 に宣べ伝え、教会員・求道者が聴 き取ることができるために、各地 域連合長老会における牧師会・長 老修養会への全牧師・全長老の積 極的な出席が不可欠である。『カ テキズム教案』誌を用いての日曜 学校礼拝・分級、全国連合長老会 中学生高校生修養会もまた何より も、この福音を健全に宣べ伝える ためにとても大きなよいはたらき を担っている。積極的に用い、参 加することが求められる。


小田原十字町教会 馬場康夫


「主張」




▲このページのトップへ



日本基督教団 全国連合長老会 All Rights Reserved.