< HOME

規約と信仰告白
「主張」
全国連合長老会ニュース
加盟教会一覧
出版書籍
カテキズム教案


「主張」

※機関誌「宣教」(2013年2月号)「主張」欄より


 教会員の高齢化について


 教会員が高齢化している。これ はほとんど例外なく、現在どの教 会においても見られる事態でしょ う。一般社会では、六五歳以上の 人の割合を高齢化率と言い、それ が二一%を超えた場合、超高齢化 社会と言います。日本は世界に類 を見ない超高齢化社会となってい ますが、教会は更に超々高齢化し ています。その理由は比較的若い 教会員が少なくなっているという ことであり、それは長期にわたっ て伝道が進展しなかったことを意 味しています。従って、この事態 を打開する道は猛烈に伝道を展開 して、その実を挙げる以外にあり ません。
 そのことを弁えた上で、今、こ の事態を受けとめて教会は何をす るのかを考えたいと思います。
@救いの恵みを明確に呈示する。
 高齢者にとって、死は遠いこと ではありません。ですから、礼拝 において何よりも自らの死を突き 抜ける救いの恵みが明確に呈示さ れなければなりません。頑張って 生きましょうというようなメッセー ジではなく、既に主イエス・キリ ストの救いにあずかっている恵み の現実を呈示するのです。「たと え死んでも大丈夫。」この終末的 希望のリアリティーの中に私共が 生き切るということです。
A最後まで礼拝者・信仰者として 養う。
 個人差はありますが、高齢になっ た教会員は、礼拝に集うことが難 しくなります。足腰・耳が不自由 になるのが大きな原因です。その 為に、手摺り・車椅子・エレベー ター・トイレ・補聴器等の設備の 面でのサポートは必要でしょう。
 また、都市部では公共の交通機 関を使えなくなれば、毎週礼拝に 集うのは難しくなります。そこで、 訪問という牧会手段が改めて注目 されなければならないと思います。 その際、訪問するのは牧師である 必要はありません。説教のテープ や週報を届けるのも良いでしょう。 しかし、何より大切なことは訪問 聖餐の意義を教会として再認識す ることではないかと思います。頻 度についても考える必要があるで しょう。年に一回か二回で良いの でしょうか?訪問には時間がかか ります。その為の時間をどうひね り出すのか、牧師にはその工夫と 熱が求められているのではないで しょうか。
B証しの生活
 高齢になれば、目も頭も衰えて きます。日常生活の中で、介護も 必要になってきます。聖書や讃美 歌を開くことも大変です。しかし その様な中で、祈りの習慣を保持 している姿は、その人と関わる者 に驚きと感動を与えるものです。 介護されている者が、介護してい る者の為に祈る。体が衰えた者が、 元気な者のために祈る。主の御業 のために、主の栄光のために、教 会のために、一人一人名前を挙げ て祈る。それは最後の証しの業と なります。そして、それは本当に 美しいし、力があるのです。勿論、 これは元気な時から身に着けてお かなければ出来るものではありま せん。
 家族と同居されるために長年住 み慣れた土地を離れるケースも増 えています。当然、今までの教会 には通えません。その場合、転居 先の近くに家族が連れて行ける教 会を紹介しなければなりませんし、 そちらの教会の牧師によろしくお 願いしますと連絡しなければなり ません。引っ越したのだからしょ うがないでは済みません。体が不 自由になっても、頭が呆けても、 主の日には何としても礼拝に集お うとする姿勢は、家族に対しての 何よりの証しとなります。
 高齢者には高齢者としての信仰 の歩みがあり、証しの歩みがあり ます。教会はそれを最後まで支え、 導く責任があるのです。


富山鹿島町教会 小堀康彦


「主張」




▲このページのトップへ



日本基督教団 全国連合長老会 All Rights Reserved.