このテーマに関しては、六○七
号(二○○四年二月)と六五四号
(二○○八年一月)の「主張」に
おいても語っている。全国連合長
老会の大切な出版物として『長老
教会の手引き』があるが、それの
改訂の必要が語られ、委員会が設
置されてから随分年月が経ってし
まった。委員会のメンバーも途中
から変わって仕切り直しがなされ、
現在は藤掛順一、関川泰寛、芳賀
力の三名が執筆中である。現状と
しては、一部の原稿が出来ている
という状況であり、完成が遅れて
いることを改めてお詫びする次第
である。
六五四号の「主張」を改めて読
んでいただきたいのだが、『長老
教会の手引き』には変遷があり、
そこに重要な問題が現れている。
つまり、東部連合長老会による
『我々の教会と教会員の生活』か
ら全国連合長老会による『長老主
義教会の手引き』となった時点
(一九七三年)で、日本基督教団
の中にあって連合長老会を形成す
ることの意味やその基本的理念に
ついての明確な記述が失われたの
である。そのために現在の『長老
教会の手引き』は、日本基督教団
など存在しておらず、連合長老会
が独自な全体教会として歩んでい
る、という錯覚を与えかねない記
述となっている。これでは、教団、
教区の現実の中で連合長老会に加
盟して歩んでいる、また長老教会
の伝統に立つ教会形成を志して加
盟を検討している教会や教会員に
対する「手引き」としてはまこと
に不十分なものだと言わざるを得
ない。
『長老教会の手引き』のこの問
題は、教団に対する無関心と無知
という過去の連合長老会の体質と
関係している。この体質から脱却
するために、我々はこれまで様々
な確認をし、それを公にしてきた。
「洗礼、聖餐についての基本的見
解」がそうだし、「規約第二条の
改訂」もそういう意味を持ってい
る。新たに作成される「手引き」
はこれらを前提とし、踏まえたも
のとなるべきだろう。つまり、長
老教会とはどのような教会か、と
いう理念や歴史を述べるのみでは
「手引き」としては不十分であっ
て、日本基督教団という我々が連
なっている全体教会において、長
老教会の教派的伝統を守り、生か
して教会形成をなすことの意味と
正統性、そして教団の教憲・教規
の枠内で、地域連合長老会が地域
長老会議(プレスビテリ)として
の働きを実質的に行なっていくた
めにはどうすればよいのか、また
そのことが日本基督教団の公同教
会としての形成のために資するも
のであることなどを示すものとなっ
てこそ、諸教会のための「手引き」
としての役割を果すことができる
のである。
日本基督教団においては、昨年
の第三八回教団総会において、
「日本伝道の推進と教団の教師養
成の重要性をふまえ、教団と東京
神学大学との関係を回復する件」
が可決され、教団紛争時になされ
た「東神大非難決議」を乗り越え
て新たな関係を築いていく決断が
なされた。日本基督教団の今後の
歩みにおいて、東京神学大学の果
す役割はこれまで以上に重要とな
る。その東京神学大学の学長に、
この四月から、『長老教会の手引
き』改訂の執筆者の一人である芳
賀力教授が就任する。芳賀学長の
誕生は、日本基督教団と東京神学
大学のこれからの歩みにおいて、
我々連合長老会の果すべき責任が
大変大きくなることを象徴的に示
していると言える。芳賀学長をしっ
かりと支え協力して、単に我々の
群れの利益を追求するのではなく、
日本基督教団のこれからの歩みに、
ひいては日本伝道の将来に、責任
をもって仕えていく連合長老会と
なっていきたいと思う。改訂され
る『長老教会の手引き』もまたそ
のために資するものでありたいと
願っている。
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