東日本大震災から間もなく三年
を迎えます。この三年間実に色々
なことがありました。教会の方々
とのかけがえのない出会いがあり、
悲しい別れもありました。個人的
には伴侶が与えられ家族も増えま
した。また昨年(二〇一三年)の
一一月には按手を受けました。そ
れら一つ一つの出来事に主が共に
いてくださり、ここまで導いてく
ださったことを感謝します。また、
これまで多くの方々が私たちを覚
えて祈り、たくさんの献げものを
してくださいました。本当にあり
がとうございます。
思えば、私の伝道者としての歩
みは激動のスタートでありました。
東神大の卒業式の最中に震災が起
き、予定通り赴任できるのかどう
かというところから始まりました。
石巻に赴任した当初はとにかく必
死でした。多くの教会員が被災し、
困難を強いられている中、ここで
自分が倒れたら元も子もないとい
う思いがあったからです。そのた
め毎日気を張っていたように思い
ます。また、「自分はこの地で何
をすべきなのか」ということがい
つも頭の中をぐるぐる回っていま
した。「本当にこれで良いのだろ
うか」、「もっとすべきことがある
のではないか」というもやもやし
た想いがいつも心のどこかにあり
ました。そうした中で「自分のな
すべきことを示してください」と
何度も主に祈り求めました。そこ
で示されたことは、第一に私は伝
道者として遣わされたのだという
ことでした。言うまでもないこと
ですが、私の確信はみ言葉の役者
としての務めです。もちろん、説
教者としてただそれだけをしてい
れば良いと言いたいのではありま
せん。牧会者として、教会として
なすべきことはたくさんあります。
しかし、まずみ言葉に立たなけれ
ば、すべてのことが崩れていくで
しょう。教会も私自身も。
ですから、私が石巻に来てしな
ければならないことは、礼拝を中
心として、日常を取り戻していく
ということでした。
私にとって伝道者としての最初
の礼拝は忘れがたいものです。そ
れは二〇一一年四月三日の礼拝で
す。主が与えてくださる命のみ言
葉を求めて、多くの教会員が各々
の自宅、避難所から礼拝に集って
きました。まだ交通も回復してお
らず、道路には瓦礫も散らばって
いる状況でした。この一人一人の
姿を見て、私は主のみ言葉の力を
感じました。どのような状況に置
かれようとも、み言葉は滅びるこ
となく、私たちに語りかけてくる
のです。そうであるからこそ、教
会はしっかりとみ言葉の上に建ち、
み言葉を語り続けていかねばなら
ないとの思いを新たにさせられま
した。これは災害が有ろうと無か
ろうと変わらないことです。
震災後、礼拝や支援活動を通し
て、教会の近隣の方々が導かれて
います。二〇一二年のクリスマス
には教会の隣に住んでいる青年の
方が受洗されました。また昨年の
ペンテコステには教会の真向かい
に住んでいるご婦人が受洗され、
今は奏楽の奉仕をしてくださって
います。
石巻山城町教会がわずか数十メー
トルの差で津波を免れたことの意
味がここにあるのかもしれません。
主は確かに教会を通してこの地に
働いてくださっています。その御
業を目の当たりにできることは大
きな恵みです。
震災から三年経ったとはいえ、
復興に向けての課題は山積してい
ます。福島における放射能の不安
もあります。未だ被災した一人一
人の悲しみや心の傷は完全には癒
えていません。しかし、闇の中の
光として御子イエス・キリストが
来てくださいました。このお方が
苦難のただ中ですべてを担ってく
ださっていることを信じます。
主イエス・キリストによって与
えられている希望がこの地に暮ら
すすべての人にとって真の希望と
なるよう、遜って主に仕えて参り
たいと思います。
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