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「主張」

※機関誌「宣教」(2014年10月号)「主張」欄より


 日本基督教団と連合長老会


 日本基督教団に有って、連合長 老会に無いもの。それは言うまで もなく「教憲・教規」です。規約 があるではないか、と反論される かもしれませんが、厳密に言えば、 規約を「教憲・教規」に類するも のとして扱うことはできません。 従って、連合長老会における、い わゆる「教会法」は何であるかと 問われるならば、「教憲・教規で ある」と答えなければなりません。
 地上の教会は、どのような批判 を浴びようとも、地上の教会であ る限り「教会法」を必要とします。 教会法の無い教会(教団)は、存 在することができないとさえ言う ことができます。それは、連合長 老会の教会と言えども、日本基督 教団の「教憲・教規」を無視して 教会形成をすることはできない、 ということです。「教会政治」と いう表現に対して、ある種の嫌悪 感を持つ方もいるかも知れません が、地上の教会は最小限の仕方に おいても組織を必要とし、政治を 必要としています。もちろん、教 会政治を「教団内における多数派 工作」という意味で狭義的に用い るとするならば、教会政治に関し てネガティブでいることは許容さ れると思いますが、本来、教会政 治とは、教会の秩序を保つために 他なりません。つまり、教会を自 己目的化しないために自制する必 然性として、教会政治は必要なの です。従って、連合長老会の加盟 教会であっても、日本基督教団の 所属教会である限り、「教憲・教 規」に基づいて「教会政治」を行 わなければならないと言えます。
 ところが、教団の「教憲・教規」 に忠実であろうとすると、地域長 老会議(プレスビテリー)の形成 が不可能であることに気付かされ ます。つまり、教団の教会であろ うとすればプレスビテリーの形成 を諦めなければならず、プレスビ テリーを形成しようと思えば「教 憲・教規」の遵守からは外れるこ とになってしまいます。このよう な困難、矛盾を連合長老会は本質 的に抱えています。教団の中に在っ て連合長老会は自己矛盾を抱えて いる存在だと言えます。そして、 日本基督教団と連合長老会のこと を考える時、この自己矛盾の理解 を避けて通ることはできないと思っ ています。むしろ、この自己矛盾 といつも向き合いながら、連合長 老会は日本基督教団の中で生きて 行かなければならないのでしょう。 だからこそ、教会形成(プレスビ テリーの形成)のために教団を離 脱する、ということを頭の片隅に いつも持っている、とも言えます。
 それでは、日本基督教団の中に あって連合長老会は何であるのか。 改めてこの問いに直面します。連 合長老会に有って日本基督教団に 無いものを求めるとするなら、規 約でしかありませんが、「教会の 監督指導」になるでしょう。しか しこれは「教憲・教規」に基づく ものではありませんから、いわゆ る紳士協定です。しかし、これを 「紳士協定」としか捉えないのか、 むしろ、「ここにこそ教会形成が ある」と捉えるのかでは雲泥の差 があります。そして私たちは言う までもなく後者の立場に立ちます。 教会法を重んじ、教会の秩序を保 つための教会政治を是とするがゆ えに、これを紳士協定と言わず、 教会形成と言います。自分の教会 さえ良ければそれで満足し、何も 口出しするなと、プレスビテリー と関わることを拒んだり、反対に、 教会が困難な状況に陥っていると きに問題を隠し、プレスビテリー に口を出されることを拒んだりす るような有り方を退けます。
 もちろんそれで自己矛盾が解消 するわけではありません。しかし 制度上、自己矛盾を抱えた連合長 老会が、教団の中で真実に長老教 会であろうと欲するならば、やは りこの「監督指導」の意義や実際 を再認識し、確立する必要がある と思わされます。そうでなければ、 なぜ教団の中で連合長老会である か、その意義そのものを失ってし まうように思うのです。


蕃山町教会 服部 修


「主張」




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