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「主張」

※機関誌「宣教」(2015年6月号)「主張」欄より


 「中高生修養会の恵み」


 今から一四年前、中学三年生だった私は、全国連合長老会の中高生修養会に初めて参加しました。それまでこの会の存在自体を知らず、ただ牧師に勧められるがまま参加を決めたのです。仙台で生まれ育った私にとって、会場の伊豆に行くだけで当時は大冒険でした。
 出発の前々日の朝、一緒に参加の予定だった友人を突然亡くす経験をしました。生まれて初めて直面した死の現実に呆然としつつ、集合場所の三島を目指しました。
 三島駅で出会う者の殆どが初対面でしたが、中には見知った顔もあり、とても心強く感じました。そしてすぐに初対面の者とも打ち解け、天城山荘に着きました。開会礼拝で、亡くなった友人のためにも祈りが捧げられた時、さらに安心を覚えました。それからは誰とでも楽しく過ごせました。
 今ではこの初参加の時のことを、全て詳細に思い出すことはできません。講演の内容も、出会った友人も忘れてしまった事が多いです。しかしここで「受け入れられた」という確信は揺るぎ無いものでした。また、主なる神の御前で共に礼拝をすることが、どんな状況にあっても支えになることを実感しました。その礼拝を多くの同年代の仲間と守ることがとても新鮮でした。これまで自分の普段通う教会しか「教会」を知りませんでしたが、一気に視野が広げられたのです。他から得られない刺激がここで得た友から与えられました。迎えてくれた教師は、教理を分かりやすく教えてくれました。それ以来、これまでは聞き流していた礼拝の言葉が心に響くようになりました。当たり前過ぎて意識したことの無い神の存在が、自分に迫ってくるようになりました。その後私は、様々なことで戸惑い、傷つく青春の日々を、中高生修養会で得た気づきや信仰の友に支えられて歩むことができました(今でもです)。
 中高生は、知識は少ないにしても、彼らなりに教会に向き合い、人生に取り組んでいます。普段の礼拝で無意識の内に、存在の深いところで信仰の言葉を受け止めています。そんな中高生が自身の教会生活と信仰を捉え直す格好の機会となるのがこの修養会です。自分たちのうちに蓄積された信仰の言葉を、大人が想像する以上の敏感さで吟味・統合することになります。普段の礼拝と同じ信仰の言葉が修養会でも語られていると、安心して受け止められます。これまでよりも多くの者と礼拝を共にする喜びを知り、生涯の信仰の友を見出します。そして教会の言葉を、自分の信仰の言葉として受け入れ、イエスを自分の主として受け入れる「出来事」が起きるのです。
 プログラムの内容自体は、他の団体でしていることと大差無いかもしれません。しかし同じ連合長老会の教会に連なるスタッフが迎えてくれて、自分を送り出してくれた教会のことを知り、牧師のことを知ってくれていると、それだけで言葉が届きやすくなります。共に学び、実践的な伝道協力をする連合長老会だからこそ、こんな「化学変化」も期待できます。
 このためには毎週の教会学校の礼拝で語られる言葉と、修養会での言葉に根本的な違いがあってはいけません。スタッフとして中高生を迎える側にも立つ今、その意識を特に強く持っています。『カテキズム教案』などの試みは、連合長老会全体で子どもたちを教え育む為に必要不可欠です。こうした連合長老会の中高生修養会を取り巻く状況は改善の余地が大きく、それだけに豊かな可能性が秘められていると感じます。「わたしたちは皆、神の子に対する信仰と知識において一つのものとなり、成熟した人間になり、キリストの満ちあふれる豊かさになるまで成長するのです」(エフェ四・13)。教会の頭であるキリストの豊かさを、更に多くの中高生と味わえることを祈りつつ、今年も修養会の備えを進めて参ります。ぜひ中高生を天城へと送り出してください。


十貫坂教会伝道師 中村 恵太


「主張」




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