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「主張」

※機関誌「宣教」(2016年2月号)「主張」欄より


 「キリスト教学校と連合長老会」


「あなたは、若者の名前を覚えて祈っているか」という問いの前に立つことから始めたい。実に私たちが今、問われていることは、整理や分析や理解に増して「祈っているか」ということなのだろうと思う。「キリスト教学校のために」とか「北陸学院のために」とか「青年・高校生のために」というような大雑把な祈りではない。「あの人の名前」を覚えて祈っているかということだ。
 私たちの祈りが大雑把になるのは、相手を知らないからではないか。近しい者のために祈るとき、繊細に祈り始める。人間関係、家族関係、勉学、進路、部活動、夢中になっていること、悩み、危険の前にいるかどうか…等々。相手の真実に迫って祈ることができる。
 私は今、北陸学院の宗教主事として着任している。北陸連合長老会の個人加盟教師でもある。北陸学院では教務教師が職務に就くとき、教師就任式を教区によって執行する。すなわち、教職が派遣されて北陸学院に着任するということは、明確に教会の出来事であることを表明する。事実、私は非常に厳しく主と会衆の前で誓約を求められた。そして、その第一の務めは、「幼児、児童、生徒、学生、教職員のために祈ること」であった。
 北陸学院高校では、年平均四-五名が洗礼を受ける。傍に立つ者として、この一人一人がどれほど祈られてきた生徒たちであったかを思わされている。二〇一四年クリスマスに北陸連合長老会加盟教会である金沢教会において二名の女子生徒が受洗した。彼女たちは、やはり北陸連合長老会加盟の羽咋教会に親しい羽咋白百合幼稚園の卒園生であった。当時から牧師と教会、幼稚園により、その名を覚え祈られてきた子どもたちであった。やがて成長し、北陸学院中学校に入学してくる。ここでも毎日、祈られ続けた。さらに高校に入学してくる。高校二年生で一人は生徒会・宗教委員長になり、一人は提携校であるカナダのキリスト教学校へ留学に行くことになった。
 宗教委員長となった生徒は、宗教主事、宗教主任、聖書科教師と親しい関係を結んで日々の礼拝に奉仕する者となった。教会に通う頻度も自ずと多くなる。ある日、彼女は「先生、洗礼を受けたいという思いがあります」と打ち明けてきた。即刻、金沢教会の牧師に引き継ぎ、関係者が祈る中で牧師との準備会が始まった。
 留学した生徒は、ホストファミリーと共に毎週礼拝に出向き、キリスト者の生活を一年間共にすることになった。学校の教職員、生徒も圧倒的にキリスト者である。ある日、留学先から国際電話が宗教主事室に入った。「来週、洗礼を受けようと思っているがどう思うか」と問われた。事情を聞いてみると未だ時ではないことははっきりとしていた。長時間、電話で話し、帰国後に教会に通いつつ考えようということになった。
 二人は翌年三年生になり、昨年のクリスマス礼拝において洗礼を受けた。幼稚園時代に初めて祈られる子どもになり、一五年、祈られ続けて洗礼を受けたのだ。子どもは「祈られて育つ」。
 考えてみれば、自分自身もそうだったのではないか。無礼な若かりし頃、既に、祈られていた。「この私」を熱く覚えて、時に涙さえ浮かべて祈っていただいてきた者ではなかったか。
 キリスト教学校は、何重にも祈りに取り囲まれて子どもが育つ場だと思う。学校と教会が「この一人」を格別に覚えて祈る時、主は必ず「その人の人生に」大きく介入し、明確に祝福して働いてくださると確信している。
 今、連合長老会とキリスト教学校を結ぶ要があるとすれば、それは「この一人の若者」を覚える「熱い祈り」だと思う。大雑把ではいけない。大事に「この人」を覚えて祈っていきたい。ぜひ、この祈りをご一緒に祈って若者を大事に育てていこうではありませんか。


北陸学院 堀岡 満喜子


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