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「主張」

※機関誌「宣教」(2016年3月号)「主張」欄より


 「震災後五年を経て −そして課題−」


 「五年」を節目にするのが適当かどうか判らないけれども「東日本大震災」のことである。それ以前からの、またそれ以後に生じた諸事態が他にもあることを本当は見失われてならないのが歴史であり現実であろう。それにもかかわらず、この度の震災と同程度あるいはそれを越える災害などが起こるまで関心は薄れることはないだろうし、実際、編集者からの執筆依頼があった。今回は、少し率直なことを書くことをお許しいただきたい。
 昨年三月をもって、「東日本被災教会再建献金」は終了した。多くの祈りと今までに例のない多額な献金が寄せられたことを、主にあって、信仰と伝統あるいは教会形成において同じ志にある諸教会の皆様に、改めて謝意を表明したい。思いに優る支援は、身の丈を越えるような会堂等の再建に用いられたし、今後も困難な地域における伝道支援などに活用させていただくことになろう。
 ただ残念なことは、全国連合長老会として、現地訪問もなされないまま、全国改革長老教会協議会と共同して献金したのだから、現状を報告して欲しいというような要請が繰り返されるだけで、どこまで被災地の現状を認識しておられるか不明であることにある。また、被災地側にも遠慮があり申し出ないこともあって、献金以外に、これと言った具体的あるいは人的な支援をいただいているわけではない。更に、伝道地として、特に、津波被害による地域社会が崩壊あるいは衰退して行く地域、また長期にわたると思われる放射線被害が懸念されている地域に、どのように関わるのか、現地任せで本当に良いのだろうか。献金の使途についても、通常の伝道と思われることに拠出するのはいかがかとの意見があるが、実態は通常の伝道さえ為されにくい状況のあることにどれだけ想いが及んでいるのだろうか、と思っている。
 昨秋はじめに金沢で開催された全国改革長老教会協議会の牧師会で、地域長老会のヴィジョンが主題として取り上げられた。そこで、今までの連合長老会の在り方に対する自己批判が連合長老会の担い手たちから強くなされた。曰く、頭のみならず手足や体、そして心をも働かせた霊的な営為が求められている、と。連合長老会をモデルに地域長老会の形成を目指して来た筆者からすれば、今、求められているのはそういうことか、との思いをかえって抱いたが、周縁に位置する協議会の牧師会でのことである。連合長老会内では定点や重心を見失うことなく、もっと真摯な自己批判がなされているのであろう。 実際、被災地支援において、連合長老会は教団とどのように違うのか。教団の救援と同じようなことを、しかし現地の人を当てにして、取り組んでいるに過ぎない。連合長老会は、このような具体的な取り組みにおいても、いつのまにか頭だけで考え意見を交わし対処しようとしていないか、というようなことを自問してきた。
 資金も人材も豊富で取り組みも盛んな教団のようにいかないことを承知しているし、そのようなことを期待しているのではない。むしろ、教団や教区が震災を機に曲がりなりにも機能し始めている今だからこそ、教団に対する今までの歴史的なベクトルを曖昧にせずに、目指す教会を提示できるような関わりの仕方はないのだろうか。
 いわゆる社会派とも違い、各個教会主義とも異なる、キリストの体である教会の形成による伝道や協力は、聖書に繰り返し立ち帰ることはもとより信仰告白におけるアイデンティティーの確認が絶えずなされ継承されて行くことなしに為し得ない。このままでは、時宜を得た教団至上主義的な現実力学に呑み込まれて行くであろう。教団による卓球大会で沸くことがあっても、連合長老会の志や様子がなかなか見聞きできないでいる被災地であることである。


仙台広瀬河畔教会 望月 修


「主張」




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