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「主張」

※機関誌「宣教」(2016年11月号)「主張」欄より


 「地域連合長老会における長老の研鑽について」


 私たち長老は牧師を補佐し主が教会に委ねてくださった御業を担う光栄ある責任に与っている。教会の総会にて選出され礼拝での任職式にて神と教会員との前で、この務めに任じられたのは教会の頭であり大牧者である主イエス・キリストの召しによることを誓約し按手を受けたものである。
 教会は尊い御子の血で贖いとられたものでありその務めを忠実に行うには務めを理解しそのための研鑽・訓練が必要である。
 その方法、場には東神大の夜間講座等の自己啓発的なもの、各教会で牧師の指導を受けての学びや地域連合長老会の長老(・執事)修養会などがある。その中で最も大切で効果のある研鑽は地域連合長老会が主催する修養会である。
 以下は私の所属する東海連合長老会での三五年余の体験による。
 東海連合長老会の規約の9条にこの修養会が大切な事業として明記され設立以来四四年、毎年継続されてきている。修養会での主題はある時には「ただ神にのみ栄光を」との改革長老教会の信仰について、またある時には長老教会の伝統と制度について学んだ。そして現在は長老の務めとしての会員の入・退 会、礼拝の整頓、教理の擁護等について学んでいる。
 世代交代も大分進み既に召された牧師、長老も多数おられる。懐かしい顔を思い浮かべながらこの原稿を書いている。
 それら諸先輩方を通して真の教会を形成するためには同一の信仰に立つ教会が、地域長老会議を形 成することが不可欠であること、私たち一人一人がそこでキリストの身体としてのまことの教会を形成すべく召されていること、それは何よりも教会の中にキリストの主権があがめられることを願い求めてである。
 このことを繰り返し学んできている。そして、キリストの主権への喜びに満ちた告白が、その身体として建てられた教会の隅々まで、そして一人一人の生活の中に活きているかが問われる。教会の中心である礼拝が生活の中心になっているか。その礼拝の中でなによりも大切な説教を語る牧師の準備に聖霊の助けを祈りつつ牧師の祈りに長老会も祈りを合わせていくことが大切である。
 ところで修養会では所属教会の牧師・長老が一堂に会し、開会礼拝で共にみ言葉を聞き、講師により主題の講演が語られ、分団にて牧師先生方の指導のもと、ともに話し合い、更に全体会での分かち合いを通して主題の理解を深める。
 このようにして一つ主題についてじっくり学ぶときに通常の長老会では、目の前の問題の解決にのみに意識がとらわれていることに気づかされ改めて初心にかえり学ぶ大切さを教えられるのである。
 主題の学び以外にも多くの大切なものを教えられる。
 教会の最前線で奮闘されている講師や牧師先生方の質疑への丁寧な応答や、祈り、指導などの端々で示される姿勢、人格の触れあい、後ろ姿を通して特に神に対し、キリストに対し、聖霊に対し、み言葉に対しての「謙遜とは」を、身を持って教えられるのである。 更には良き礼拝者であることへの自覚、教会に喜んで仕え支える志や覚悟が養われるのである。
 教会全体に「長老教会の長老とは」の理解がしっかり行き渡るためにも、まず各長老会での共通理解認識が必要である。
 地域連合長老会の修養会こそ長老の研鑽の要である。この修養会に、全長老が万難を排して出席したいものである。各教会においても 互いに誘い合って出席しようではないか。厳しい職場環境等の諸般の事情でどうしても出席できなかった 長老には、各長老会で共通認識が得られるように温かくフォローしたいものである。
 このようにして長老会が一つになっていくときに、教会は活力に満ち、伝道に励むことができるのではないか。


平塚富士見町教会 福原 三四朗


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