あの二回の震度七を経験した熊本・大分地震から間もなく丸二年を迎えようとしています。その間に全国連合長老会、改革長老教会協議会の諸教会から献げられた献金は一〇二二万二一七五円 (二〇一七年一二月現在)にのぼり、特に錦ヶ丘教会に多くの献金が送られて来たことを、この場を借りて心から感謝申し上げます。
振り返れば、大変な状況でありましたが、不思議と不安や焦りを感じることなく、今日まで支えられてまいりました。現在、十字架の塔の再建が待たれておりますが、献げられた献金で十分資金は賄えると見込んでおります。このような災害に一つの教会だけで対応することはできません。それゆえにこの度の支援を通して、改めて教会の結びつきの尊さ、強さ、そして共にある安心を実感しました。この感謝はどれだけ言葉を尽くしても言い表せません。
しかし、なお課題はあります。 建物などの問題で言えば、熊本では、被災地特有の業者の不足と資材の高騰のためになかなか再建まで話が進まず、建物に深刻な不安を抱えながら礼拝をまもっている教会があります。加えて日本基督教団で展開している教会再建のための募金もなかなか目標に届かず、被災地の教会の不安はさらに増大しています。今後も被災地を覚えて日本基督教団の再建募金になおお献げいただければ幸いです。
また被災地の教会は、いずれも深刻な財政問題を抱えております。錦ヶ丘教会の場合、月定献金、礼拝献金、クリスマスやイースターなどの特別献金も軒並み予算に届かず、新年度は大幅な予算の見直しが求められています。これまでの錦ヶ丘教会の歴史においても戦災や水害など数々の試練がありましたが、このような事態はおそらく近年にないものでしょう。
毎年、受洗者は与えられておりますものの、高齢化も相まって教勢は横ばいで推移してきました。しかし震災によりこの減少の勢いはより加速度を増してきたように感じます。これからが正念場、本当の試練なのではないかと思います。こういった教会の危機にどう立ち向かうのか。改めて教会の危機管理が問われています。
災害だけではなく、教会は様々な危機に直面いたします。牧師の人事もその一つでしょう。特に無牧師になる場合は深刻です。熊本地区はこの四月より四つの教会が無牧師になりました。これはおよそ半分の教会に牧師がいないという状況です。その無牧師の教会の代務、礼拝、葬儀の問題等々、小さな地区で残された教師たちには到底抱えきれない問題があります。教派を超えて助け合わなければなりません。わたしたちは「各個教会主義」の克服を掲げますが、地方の教会は、すでに「我が教会」だけでは成り立たない現実を身をもって体験させられています。
かつて、わたしが牧会した都城城南教会も無牧師の時代を経験しましたが、その間に九州連合長老会はもちろん全国連合長老会が一丸となってその無牧師の時代を支えました。そのことは今でも教会員の心に強く印象付けられています。
この度の震災でも、教会員は改めて教会の連帯の強さを実感したに違いありません。今も掲示板には、全国の教会から届けられたお便りや献金者の名簿が貼られていますが、そこで教会員に一番感じ取ってほしいことは、教会は自分たちだけで成り立つものではない、ということです。
わたしたちは教会に起こる様様な危機を想定し備えていく必要があります。その時に声を大にして言いたいのは、特に改革長老教会の伝統にある教会は、全国連合長老会への加盟を真剣に考えることです。それが教会にとって最も重要な危機管理です。震災という危機の中で全国の同志の教会に支えられた経験に基づくわたしの率直な思いです。「主張」ですから少し思い切って書きました。
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