伝道者の養成は、教会形成と伝道のために最も大切なことの一つであり、これからの教会の命運を左右する問題です。そして私たち連合長老会に連なる諸教会が、主が立てて下さった伝道献身者を送るべき神学校は東京神学大学です。
勿論、連合長老会に連なっている教師の中には、他の神学校を卒業した人もいるし、いわゆるCコースで教師になった人もいます。連合長老会は東京神学大学出身者を牧師として迎えている教会の群れではないし、東京神学大学の同窓会でもありません。しかし、私たちが依って立っている改革・長老教会の教派的伝統を受け継ぎつつ日本基督教団の教職養成をしている神学校は今日、東京神学大学だけです。私たちの信仰的伝統に立つ伝道者の養成は東京神学大学においてこそなされるのです。
東京神学大学はいわゆる「教派神学校」ではありません、その英語の名称である“ Tokyo Union Theological Seminary ”の「Union」が示しているように、諸教派の合同によって生まれた合同神学校であり、いろいろな教派の神学校の歴史がそこには流れ込んでいます。ですから東京神学大学は「改革・長老派神学校」ではありません。しかし東京神学大学の神学的 骨格の形成に最も大きな影響を与えているのは「日本神学校」の伝統であり、それをさらに遡れば、「明治学院神学部」とそこから分かれた植村正久の「東京神学社」になります。これらは旧日本基督教会の伝道者養成を担っていた神学校です。つまり連合長老会が受け継いでいる改革・長老教会の神学的伝統こそが東京神学大学の根幹となっているのです。
もう一つ指摘しておきたいことは、東京神学大学が日本基督教団立神学校である、ということの意味です。それは、日本基督教団が東京神学大学を設置した、ということではありません。諸教派が合同して日本基督教団が成立していく中で、それぞれの教派と関係していた神学校の合同もなされていき、「日本基督教神学専門学校」を経て、戦後の学制改革によって一九四九年に東京神学大学が誕生したのです。教団の合同に伴って諸神学校が合同して東京神学大学が生まれた、という経緯のゆえに、「教団立」と言われているのであっ て、教団によって生み出されたわけではないし、財政的にも教団によって支えられてきたわけではありません。諸教会とそこに連なる人々の祈りに基づく献金こそが東京神学大学を今日まで支えてきたのです。
牧師は待っていればどこかから与えられるものではありません。 教会が祈りつつ生み出し、育てるものです。教会の祈りに応えて主が牧師を立て、遣わして下さるのです。伝道献身者が興されることは大きな喜びです。しかしその献身者が伝道者へと育てられるためには、神学校を整え支えるための教会員の献身とその現れとしての献金が必要です。一人の牧師の存在の背後に、諸教会の祈りと献身と献金があることを忘れてはならないのです。
東京神学大学の今年度の学部入学者は一四名でした。学部全体の学生数は定員の六割を少し切っています。伝道のために生涯を献げる献身者がもっと必要です。「収穫のために働き人を送ってくださるように」(マタ九・38)より深く祈りましょう。また今東京神 学大学は、古くなった教職員住宅、学生寮の建て替えと、研修センター新築という「キャンパス整備計画」を立て、今年度から工事が始まります。そのための献金も募っています。献身者が学ぶ場を整えるための献金は、将来の伝道と教会形成への先行投資であり、私たちの献身です。連合長老会の教会から、東京神学大学への入学者が次々と生み出され、後援会献金とキャンパス整備献金がしっかりなされていくことを祈り願っています。そこにこそ、私たちの教会の将来への希望が与えられていくのです。
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