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「主張」

※機関誌「宣教」(2019年12月号)「主張」欄より


 「伝道献身の勧め」


一. 中学生高校生修養会とのかかわりの中で
 全国連合長老会中学生高校生修養会の最終日、毎年のように「洗礼を受けます、信仰告白をします」と語る中学生高校生が与えられています。同時に「私もアシスタントとして仕えたいです」と願う高校生もいます。寸暇を惜しんで生き生きと、喜んで一生懸命はたらくアシスタントの姿を視て憧れ、自分もアシスタントとして仕えたい、伝道のお役に立ちたい、と申し出るのでしょう。それは中学生高校生のために、福音伝道のために仕えたいとの召命です。
 また、何とか中学生高校生に福音を届けたいと祈り、情熱を込めて語る牧師たちの言葉を聴き、その姿を視て、「将来、牧師になりたい」と心の内を密かに打ち明ける高校生もいます。中学生高校生修養会の卒業生の中から少なくない伝道献身者が与えられてまいりました。私自身もその一人です。
 このように、生き生きと喜んで伝道にいそしむ牧師やアシスタントが語る言葉やその姿が伝道献身への道を示す役割を担い、伝道献身への決断を促してきたきっかけになってきたことは事実です。
 中学生高校生修養会二泊三日の間、牧師の「生」の姿、「生」の生活を目の当たりにします。早朝一人で祈る牧師の姿、講演や礼拝などのために黙々と備える姿です。牧師として仕えることはただ苦しいこと、辛いことである、とだけ思っているのではなくて、牧師として仕えることはこんなに面白いんや、こんなに楽しいんや、とも思っているようです。勿論、牧師として仕えることは確かに神の召しと重い決断が必要不可欠ですが、誤解をおそれずに言えば、いわゆる品行方正で真面目な信仰者だけが牧師に相応しいということではありません。
 三九年前、私が東京神学大学に編入学するかどうかを悩んでいた原因は、私が小さい頃から、読むこと、書くこと、語ることが苦手であったことです。牧師の務めは本を読むこと、説教原稿を書くこと、説教を語ることです。三つの苦手を抱えていたのにもかかわらず、神は私をお召しになろうとしておられました。その時に出合った聖書の言葉がエレミヤ書第一章五〜八節「『わたしはあなたを母の胎内に造る前から/あなたを知っていた。母の胎から生まれる前に/わたしはあなたを聖別し/諸国民の預言者として立てた。』わたしは言った。『ああ、わが主なる神よ/わたしは語る言葉を知りません。わたしは若者にすぎませんから。』しかし、主はわたしに言われた。『若者にすぎないと言ってはならない。わたしがあなたを、だれのところへ/遣わそうとも、行って/わたしが命じることをすべて語れ。彼らを恐れるな。わたしがあなたと共にいて/必ず救い出す』と主は言われた。」とヨハネによる福音書第一五章一六節「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。」でした。神が選んでくださったのだから、神が必要な賜物を備えていてくださいます。頭・理性では自分は伝道者に相応しくないと思っているのにもかかわらず、心が勝手に伝道献身者への道へ動いているのであれば、それは既に神に捕らえられているからです。あなたはどうですか?

二.私たちの祈り
 東京神学大学は定員の過半数割れが目前になり、若き伝道献身者が激減し、たいへん厳しい状況にあります。だからと言って、あなたも神学校へ行きませんか、などと軽々に口にすることはできません。神の召命の問題であるからです。ただ単に定員を満たすため、というのでは勿論なく、「愛する人々に届く福音の言葉を情熱を込めて語り続ける、日本のどこにでも、いや、世界のどこにでも、主よ、お遣わしください、と願う伝道献身者が与えられますように」という祈りが私たちの日々の祈りでありたいと願います。


小田原十字町教会 馬場 康夫 






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