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※機関誌「宣教」(2020年7月号)「主張」欄より


 中高生修養会の恵み


 二〇一九年八月一三―一五日に天城山荘において開催された第三九回中学生修養会ならびに第六三回高校生修養会に参加しました。全国連合長老会からの問安使(地域議長)としての参加でした。 これまで中高生修養会の恵みを周りから聞いたり、また報告書を通して参加生徒の声を読んできました。わたしが仕える教会からも幾たびか生徒を送ってきました。戻ってきた生徒の顔つきが良くなっていることからも、修養会に送って良かったという感想を持ってきました。一方でわたし自身は全国連合長老会の中高生修養会に生徒としてもスタッフとしても参加したことがありませんでした。今回がわたしにとって初めての中高生修養会となりました。
 参加してみて、まず受けた違和感がありました。その違和感についてはしばらく何なのかわかりませんでした。
 これまで、わたしは関西の地域で行われている中高生修養会や、日本基督教団主催の中高生・青年大会などに参加してきました。中高生のための修養会はどこが主宰であっても本気です。手抜きはありません。イエスさまに出会ってほしい、受洗の志を与えられてほしい、伝道献身者としての道を見る者も与えられたい。中高生のための修養会は、ほかのどんな集会にもまして祈りがあります。人生がいよいよ始まる生徒たちを覚えるからなのに違いありません。スタッフたちの熱意は、修養会の開催母体がどこであっても大変な熱量をもっています。それはもちろん連合長老会の中高生修養会も同じです。事前のミーティングには参加していませんが、メーリングリストで重ねられる議論および丁寧な準備がなされていました。それぞれの教会での生徒たちの様子も共有されてきました。そうやって迎えた修養会も生徒たちに声がけしながら、きめ細やかな心遣いと配慮にあふれています。修養会の礼拝で語られたみ言葉も、また一つ一つの講演も生徒に神さまの恵みに生きてほしいという祈りの中で備えられていたことがよく伝わってくるものでした。
 そういう中でわたしが覚えた違和感とは、修養会も終わる頃に言葉になるのですが、それは「違和感を抱かない」という違和感です。 修養会を通じて感じたのは、わたしの仕えている教会学校の雰囲気とよく似ていることでした。和歌山教会の教会学校のレギュラーメンバーは現在六名。何十名と中高生が集まるこの集会と規模は異なります。遠く離れた天城山荘で二泊三日の非日常を過ごす点でもまるで違います。それなのに、既視感を覚えてしまうのはどうしてだろうかと思いました。
 多くの教会から生徒が参加する修養会は、先に述べたようにどの修養会も熱意に溢れたものです。祈りが重ねられ開催されます。けれども初めて出会う人が多いせいでしょうか、どこかぎこちなさを感じてしまうのです。それと異なり連合長老会の違和感のなさとは何か。それは要するに、連合長老会の修養会であるということです。会議やその他で常日頃顔を会わせている牧師たちがスタッフとして関わっているということだけではありません。「信仰告白と長老制度によって教会形成を志す連合長老会のエートス」と言ったら大仰でしょうか。中高生修養会に生徒を送り出すそれぞれの教会が、礼拝を重んじ、悔い改めと共に信仰告白を真実に告白したいと願い、また長老教会として神さまの栄光を現そうとしている教会である。そのような教会のあり方が、この中高生修養会にもにじみ出ているのです。連合長老会の香り、否、連合長老会を通してのキリストの香りが匂い立っている。講演その他の学びと交わりと共に、この修養会にあるキリストのエートスをこそ生徒たちは体験して帰って行くのでした。

和歌山教会 清藤 淳






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