はじめに
着任後ようやく最初の一年を終えたばかりの者がこのような文章を記すのはどうなのだろうかという一抹の憂慮があります。しかし一方で、着任直後で何の先入観も忖度もない者が記す言葉は、一定の意味があるのかもしれないとも思います。
加盟教会の様子
三重県は南北に長く、名古屋圏に接している北勢地域や大阪奈良圏寄りの伊賀地域と、「それ以外の地域」とでは、コロナ感染の状況はまるで異なります。三重連合長老会加盟四教会はすべて「それ以外」の地域にありますから、大都市圏や感染拡大地域にある他の地域連合長老会に比べれば、「落ち着いている」部類に入ると思います。
加盟各教会は、各種対策を徹底することで礼拝を継続してきました。緊急事態宣言下で一時礼拝出席を大幅に制限した教会もありますが、「礼拝はずっと牧師一人」とか「財政が持たない」といったレベルにまで至った教会はありません。
三重連合長老会の様子
このような状況下に置かれた地域連合長老会はどのようであったか――一言で言えば、「これまでを踏襲」ということがまったく通用しなくなったということです。ただ、この状況は実は、単にコロナ禍だけが引き起こしたものではなく、長年柱となっていた教師や重石となっていたベテラン教師の離任によって、ここ数年、昨年度からは特に、顕在化してきたことのように思われます。さらに各教会で所謂世代交代も進みつつあるように感じます。このような危機の上にコロナ禍が重なりました。それでなおさら「慣例」が通用しなくなっているのです。
無論、私はコロナ禍を「良いものだ」などと言うつもりはありません。しかしこのような事態の背後に神の深いご摂理を思わされてもいます。主はこのような危機の年の三重連合長老会に、長年組織できないでいた「常置委員会」を与えてくださいました。お陰で各行事の対応や教会の状況報告などを随時丁寧に行うことができました。新しい年度も常置委員会や教師会で一つ一つ議論していくことになろうかと思います。手間暇はかかりますが、実は今の私たちにとっては大切な営みなのだろうと思います。主が今私たちに求めていらっしゃるのは、ひとたび砕かれたものをただ元通りに再建する以上の営みなのだと思うからです。
自己再発見の時機に
あらためて申すまでもなく、キリストの教会をたてあげるというのは本当に難事業です。一時うまくいっているように見えても、人の変化や時代のうねりの中で、決して誇張ではなく「一朝一夕」で崩れることだってままあります。それに連合長老会が、ただ何となく集まってただ慣例を繰り返していくだけでは、「形」は継承できても「命」や「熱量」の継承はできません。経験上、頭ごなしに「こういうものなんだ」と押し付けられる長老制度は本当に息が詰まります。そうではなく、命に満ちた、血の通った、生ける教会のかたちとしての長老制度を取り戻したい。確かに長老制度は本来各個教会長老会だけで完結するものではなく複数教会の長老会との連帯が不可欠ですが、それがただ身内だけで小さく群れて自己満足と優越感に浸り、ただ慣例をこなすだけのつまらない集団になっていくとすれば、むしろ集わないほうがよい。霊的には百害あって一利なしですから。
中部教区三重地区は、教師会であちこちから「私は東神大〇〇年度卒です」「山口先生とは東神大でかぶっていましたよ」という声が飛び交う地区です。九州教区しか知らない者としては仰天します。このような地区にあって三重連合長老会がどのように自己を認識し、どのように自己を位置づけていくのか―コロナ禍を一つの契機に、地域連合長老会の再発見と新生を切に祈り願っています。
三重連合長老会 山口 元気
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