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「主張」

※機関誌「宣教」(2022年5月号)「主張」欄より


 伝道の道具としてのSNS


 タイトルに、「伝道の道具としてのSNS」と銘打ったが、正直なことを言えば、私自身はフェイスブックもツイッターもインスタグラムもしていない。LINEすらしておらず、その意味ではSNS音痴の部類である。それではなぜそのような人物がこの原稿を書いているのか、と思われるかもしれないが、考えられる理由は、過日私が仕えている教会で十年以上にわたって毎朝聖句メッセージの配信を続けてきたことが周囲の方々の厚意で出版された経緯があり、それが編集者の目に留まったからであろう。さぞかしSNSを伝道のために有効に用いているに違いない、と思われたのかもしれないが、現実は前述のとおり。
 ご存知の方も多いと思うが、世田谷にツイッターで有名になった教会がある。書籍も出版され、クリスチャンではない人々からも人気を得ている。蕃山町の青年たちもこの情報は良く知っているが、同じことをしようとしてもなかなか難しいことも知っている。世の中には有名になるためにフェイクの情報を流してバズらせるケースもあれば、わざと炎上させることで有名になるケースもあって、SNSを「適切に」利用することの難しさを実際に触っている子どもたちから聞くことがある。
 またネット上では些細な情報から個人の特定ができてしまう危険性もある。各教会でもホームページに写真を掲載する際には、神経を使っていることと思われる。
 こんなことばかり書いていると、伝道の道具としてSNSは不適切ではないか、と思われるかもしれない。ただ、前述のような危険性がある一方で、今の世代(Z世代と呼ばれるらしいが)はすでにSNSが「普通」で「日常」になっている。危険もあることを知ってなお用いるし、むしろSNSが存在することが「日常」なのである。それこそ情報の発信と伝達の手段は古代から現代に向かって発展した。例えばテレビの無かった時代からテレビが「日常」になったように、SNSは今の世代にとっては「日常」なのである。従って、SNSは伝道には不向きだとして、彼らにとっての「日常」を否定するなら、それは彼ら自身を否定することになるだろう。その意味で今後の教会を担う次世代を考慮するなら、SNSとその利用は否定されるべきことではなく、用いることを前提とした付き合いが必要になってくる。SNSは情報の発信と伝達の手段、つまり伝道の手段として十分に利用できる道具となり得る。事実、冒頭に私の本が出版されたことを述べたが、これは聖句配信をメールで受け取った長老がSNSの一つであるフェイスブックに転載することで多くの人の目に留まった結果である。私自身はSNSを利用していなかったが、利用している人が一人関わるだけで、可能性が十分あることをそこから学んだ。
 とは言え、全くの素人がいきなりSNSに手を付けるのはハードルが高い。ならば、それを日常としている人に委ねながら学ぶのが良いだろう。SNSを日常としている人々もまた伝道の担い手である。そして実際に利用するためには、種々の試行錯誤が求められるし、情報発信のためには正しい信仰を学ぶことは不可欠である。SNS利用も含めた伝道全般に言えることであるが、伝道活動における責任は牧師、長老会が担うことを明確にしておけば、特にSNSの場合、一個人がこれを使って伝道しているのではなく、教会がこれを使って伝道しているという姿勢がはっきりするし、担当の奉仕者も安心して取り組めるようになるのではないだろうか。
 伝道の道具としてのSNSは黎明期なのだろう。しかしこれが今後ますます「日常」となっていく世界で教会が伝道することを考えるならば、これを伝道の道具として利用する価値は十分あると思われる。

蕃山町教会 服部修






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