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一 委員会の働き
日曜学校委員会では年二回『カテキズム教案』を発行している。年間五二回分の聖書箇所の選定だけでも膨大な時間がかかる。内容が決まったら執筆者の割当て。これが大変。巻頭言やコラム、説教黙想と分級教案。毎号四〇名以上に執筆の依頼をしているが、簡単には決まらない。牧師の数は減少しているのに、依頼を断る牧師は増加しているから。
執筆者への依頼電話は日曜学校委員の一番重要な仕事。必ず辞退者が生じるので至急これを補い、全執筆者に対してメールにて正式な依頼書を送る。原稿が期日内に集まることはないが、これはお互い様。ギリギリまで原稿を待ち、担当者による編集と校正。株式会社ソーエイの印刷を経て、取次所である羽咋教会より全国に発送。これを二〇年続けているのが日曜学校委員会である。
二 委員会の課題
一つ目の課題は売上の減少。理由はたくさんある。@利用者の減少。日曜学校を開校している教会が減少している。開校していても、名簿上の生徒数も毎週出席する生徒数も激減している。A読者の減少。日曜学校の奉仕者も減少している。十冊購入していた教会が五冊になり、五冊購入していた教会は一冊だけ購入して奉仕者間で共用。B紙媒体離れ。そもそも書籍や雑誌そのものの売行きが落ち込んでいる。世はデジタル時代に突入しているのだ。
二つ目の課題は実態未把握。全国連合長老会において『カテキズム教案』の使用率はどの程度なのか。使用している場合、『カテキズム教案』を隅々まで使用しているのか、それとも部分的な使用(聖書箇所だけ、説教黙想だけ、分級教案だけ、あるいは購入しているだけ)なのか。使用していない場合、その理由は何か。別の教案誌を用いている場合、その理由は何か。実態を把握できないまま、日曜学校委員会は二〇年が経過している。
三 委員会の未来
現状維持という未来。他の教案誌も苦戦しているからこそ現状維持という選択肢もある。日本基督教団の『教師の友』はデジタル版に移行した(私は教団の教育委員会に属しておりそちらも大変)。少ない牌≠フ取合いだった市場が大きく動きつつある。二〇年以上の発行の実績があり、一定の評価がある『カテキズム教案』への切替えを検討している教会もある。市場の動きを読み違えて、こちらが変化することで顧客を失うことは致命傷になる。
誌面精選という未来。分級教案の傑作集を出版する案がある。分級案を切り離すことで説教黙想に特化した誌面にする。この場合、分級教案に需要があった教会が購入しなくなる可能性がある。また、過去の分級教案をリメイクする、という案もある。質の高い分級教案を保持しつつ従来の形式で『カテキズム教案』を提供できる。維持するにしても、精選するにしても、全国連合長老会全体の事柄として認識し、祈りを結集する必要がある。
四 桃色のイエスさま
日曜学校委員会の思いはひとつ。子どもたちにイエスさまを伝えたい、ただそれだけである。教案誌を手に取る牧師、長老、信徒が「あ、この説教ステキだな」とか、「ふふふ、これ面白い。これなら子どもたちに伝わるかも」とか、「この分級なら、きっとあの子はこんな反応するだろうな」等々、読者の子どもに対する伝道意欲が少しでも高まるなら、日曜学校委員会は喜んで教案誌を作り続けることだろう。
ふと訪れた地方の小さな教会。礼拝堂の片隅で子どもが取り組んだと思われる分級の形跡を見つけた。よくある「間違い探し」のコピーだった。間違いは七つあるはずなのに、丸印は五つしかない。途中で諦めたのだろう。よく見ると、十字架のイエスさまが桃色に塗られていた。この子は間違いを全部見つけることはできなかったけれど、十字架のイエスさまと向き合い、美しい桃色に彩ってくれたのである。胸が熱くなった。子どもたちのために、これからも頑張ろう。
日曜学校委員 阿部倫太郎
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